江古田の富士塚
富士講は、霊峰富士に登り浅間神社に参拝することを目的に結成されたものです。年ごとに講の代表者として参拝するものを選び、必要な経費を講員全員で負担していました。富士講がさかんになり、江戸時代終わりごろから富士山に似せた富士塚が各地に築かれました。富士塚に登拝すると、実際に富士山に出かけたのと同じ御利益があるとされていました。
江古田の富士塚は、高さ約8メートル、直径約30メートルの大きさで、通称“江古田富士”と呼ばれています。江戸時代後期に下練馬村・中新井村・中村の各講により構成される「小竹丸祓講こたけまるはらいこう」によって天保10年(1839年)に築かれたものと考えられます。大正12年(1923年)関東大震災によって損壊しましたが、その後、復旧工事が行なわれ、塚の一部が富士山の溶岩で覆われています。都内の富士塚の中では規模の大きいものです。毎年7月1日に山開きが行われています。
フォトギャラリー
一合目から写真撮りました。
山頂の祠です。
山頂から下界(w)の眺め
最後の写真にもありますが登れるのは年に3回だけです。
ご利益あるといいな。🗻