koleben’s blog

モノ・時間・情報からの自由になりたい。スローでイージーな暮らしを目指して

富士登山

と、このネタを書く人はみんな富士登山と書くかもしれないですね。

江古田駅前にある浅間神社はお正月や山開き、そして例大祭の時のみ浅間神社奥にある富士塚を登拝(とはい/とうはい)することができます。

本日は例大祭ですので参拝しにいってきました。

神社の雰囲気に合わせてカメラの白黒正方形モードで撮影してきました。

登山風景

f:id:koleben:20181213231510:plain
御祭禮

f:id:koleben:20181213231515:plain
浅間神社 富士塚

f:id:koleben:20181213220500:plain
浅間神社例大祭

f:id:koleben:20181213231956:plain
富士塚入り口

f:id:koleben:20181213225444:plain
一合目

f:id:koleben:20181213223348:plain
二合目

f:id:koleben:20181213232002:plain
山頂を望む

f:id:koleben:20181213223511:plain
二合目の祠

f:id:koleben:20181213230427:plain
三合目

f:id:koleben:20181213224542:plain
四合目

f:id:koleben:20181213220504:plain
五合目

f:id:koleben:20181213223352:plain
六合目

f:id:koleben:20181213210605:plain
七合目

f:id:koleben:20181213223719:plain
八合目

f:id:koleben:20181213210247:plain
九合目

f:id:koleben:20181213223723:plain
頂上から

f:id:koleben:20181213231504:plain
頂上の祠

f:id:koleben:20181213210252:plain
頂上の祠

f:id:koleben:20181213223357:plain
山頂から下界を臨む

f:id:koleben:20181213224550:plain
山頂から下界を望む(天然色)

f:id:koleben:20181213215632:plain
御嶽神社石碑

f:id:koleben:20181213225448:plain
天狗、鼻が…

f:id:koleben:20181213222017:plain
烏天狗

f:id:koleben:20181213230749:plain
下山中

f:id:koleben:20181213224558:plain
同行石碑

f:id:koleben:20181213223728:plain
無事下山

f:id:koleben:20181213224603:plain
不動明王

f:id:koleben:20181213222023:plain
不動明王

f:id:koleben:20181213222845:plain
お神輿スタンバイ

浅間神社 江古田富士塚について

国指定文化財:江古田の富士塚
江戸時代中ごろから昭和初めごろにかけて、江戸八百八講(はっぴゃくやこう)と言われるように、富士山や神奈川の大山に登拝(とうはい)しに行く富士講や大山講などの山岳信仰者の集まりが練馬区内にもたくさんありました。 富士講は、霊峰富士に登り浅間神社に参拝することを目的に結成されたものです。年ごとに講の代表者として参拝するものを選び、必要な経費を講員全員で負担していました。 富士講がさかんになり、江戸時代終わりごろから富士山に似せた富士塚が各地に築かれました。 富士塚に登拝(とうはい)すると、実際に富士山に出かけたのと同じ御利益があるとされていました。 江古田の富士塚は、高さ約8メートル、直径約30メートルの大きさで、通称“江古田富士”と呼ばれています。 江戸時代後期に下練馬村・中新井村・中村の各講により構成される「小竹丸祓講(こたけまるはらいこう)」によって天保10年(1839年)に築かれたものと考えられます。 大正12年(1923年)関東大震災によって損壊しましたが、その後、復旧工事が行なわれ、塚の一部が富士山の溶岩で覆われています。 都内の富士塚の中では規模の大きいものです。
所在地
浅間神社(せんげんじんじゃ) 境内(小竹町1丁目59番2号)
交通機関
西武池袋線 江古田駅北口下車徒歩1分 練馬区のウェブサイトより引用